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 6月2日、大阪市中央公会堂で行われた、
 うぐいすリボンさん主催の講演会「漫画表現における性
 に参加してきました。


主催:うぐいすリボン
協力:表現規制を考える関西の会
後援:コンテンツ文化研究会、NPO Contents Creation Coalition

演題:漫画とジェンダー
講師:藤本 由香里 (明治大学准教授)

演題:漫画とセクシュアリティ
講師:堀 あきこ (ライター)

演題:漫画とエロティシズム
講師:永山 薫 (漫画評論家・編集者)


以下、講演内容のざっとしたまとめと感想です。
ボーイズラブの話題も男性向けの話題もありますので、各自自衛のほどよろしくお願いします。その手の画像はないです

演題:漫画とジェンダー
講師:藤本 由香里 (明治大学准教授)


性描写の歴史と変遷のお話でした。

漫画はジェンダー化されたメディアである。
日本では19世紀はじめには少年向けの漫画が、20世紀はじめには少女向けの漫画が出版されている。
(つまりそれぞれ100年以上の歴史がある)
日本の漫画は男性漫画・女性漫画にわかれて、それぞれ独自の表現方法が発達してきた。
実はこれは世界的に珍しい現象。
海外では漫画は男が読むものであり、女性が漫画を読むという概念がない。

「女性向けの性描写」の存在
男向け・女向けの漫画で、それぞれのための性描写が生まれ、ポルノグラフィが成立していく。 女性向けのポルノグラフィー(レディースコミック・BLの2種が存在)は世界でも稀である。

少女漫画は、誕生当時から性をテーマとして持っていた。
女に生まれながら男として育てられ、男女両方のアイデンティティを持強う担ったサファイヤの物語である「リボンの騎士(1953年)」。あまりに有名な「ベルサイユのばら」
これらは男装の少女が主人公。
「イブの息子たち」「玉三郎恋の狂騒曲」には女装する少年が登場する。
恋愛と性別の越境。これらの流れが合わさったものがBLになったのではないか。

その後「11月のギムナジウム」が発表される。いわゆる「少年愛」の誕生である。
また76年からは「風と木の詩」が始まった。
竹宮恵子さんは、この作品を発表するまで7年待ったそう。
内容が当時としては衝撃的すぎ、編集者からストップが掛かった。自分がベストセラー作家になれば発表できると考えた彼女は「ファラオの墓」で大ヒットし「風と木の詩」の発表にこぎ着けたとのこと。
「風と木の詩」には激しい性描写がある(相手が父親という設定もある)が、これは物語を描く上で無くてはならない表現であり、とても真摯に描かれていた。 相当な物議を醸したが、表だったバッシングは観測範囲内では見たことがない。
竹宮先生は「風と木の詩」の推奨年齢を13〜14歳と考えていた。
中学に上がった頃、高校生になる前に、これを読んで性について考えれもらえたらと。

「性」とは本当に大きなエネルギーを持ったもの。
人と人が本気でぶつかったらどうなるのか、物語を通じて想像・シュミレートして知っていって欲しい。現実世界で実際に傷つくとダメージが大きすぎるので。

パロディ・ボーイズラブに発展していく。

80年代後半、キャプテン翼などのやおい同人誌が爆発的人気に。
(ここの具体例でスライドに尾崎南さんの同人誌が登場……!)
「イマージュ」という雑誌が90年代前半に「ボーイズラブ」という言葉を作った。
90年代後半になると「BL」という言葉が定着する。


性描写からレディースコミックへ
少女漫画の「性表現」前史
・かつては「好きなこの前でハンカチを落とす」という表現すら「はしたない」と猛攻撃を受けることがあった。(今村洋子)
・男女2人が同じ馬に騎乗するのは駄目といわれたことも。(牧美也子)
・雑誌の表紙で女の子が腕を上げてもNG。女が脇を見せるのは、たとえ服を着ていてもはしたないことであるという理由(竹宮恵子)

少女漫画のベッドシーン
70年代初め、一条ゆかりの「ラブゲーム」が全裸のベッドシーンを描いた。
「ベルサイユのばら」の衝撃的なベッドシーン。
このあと、死ぬことが運命づけられていたオスカルとアンドレ。
ここで結ばれなければもう……という本当に命ギリギリのところでのシーン。
オスカルとアンドレはこのベッドシーンを結婚と位置づけていた。
ベッドシーンは16ページ延々と描写されており、当時の少女達に相当な衝撃を与えた。

この時代にベッドシーンを描くのはだいたい大御所かベストセラー作家。
ベッドシーンを支えるだけのストーリーがきちんと描かれていた。
ベルばらのベッドシーンに抗議の電話を掛けてきた親御さんに編集者は「該当シーンだけでなく物語をはじめから読みましたか? 全部読んでなお、こんなものは子供に見せられないというのならば、もう一度お電話ください」と言ったところ、電話は掛かってこなかったというエピソードがある。


性への恐れと「レイプ」表現
80年代まで、女性向け漫画では性が「怖いもの」として描かれることが多かった。
好きな人と結ばれる前に性的に怖い目に遭う・好きな人に強引に迫られる等。

そしてそのころ、少年誌では「ハレンチ学園」が連載されていたのであった。
これは、大人向けの本を子供がこっそり読むくらいなら、いっそ子供向けのちょっとエッチなのをやれば……ということだった。
また青年誌も登場。「同棲時代」「官能劇画詩」など。
80年代はエロスの時代。
レディースコミックが登場し、やおいやロリコン漫画誌が誕生している。

青年誌に遅れること約10年、レディースコミック登場。
最初は大手出版が出し始め、性描写は控えめであった……が、ときどき官能巨編が掲載されいてた。
80年代後半から官能レディース花盛りで。中小出版がレディコミに参入し、過激な性描写が話題になった。
女性のためのポルノグラフィーの誕生といえる。

またこれと同時期にもう一つのジャンル「やおい」が勃興。
男性誌では新しいヤング誌として「ヤングジャンプ」「ヤングマガジン」が創刊。
これらは「週刊プレイボーイ ※ヌードグラビアのある雑誌」をライバルにしていた。


レディースコミックとマゾヒズム
レディコミは女性向けのメディアだが、マゾヒスティックな表現・設定や「レイプ」表現も多い。
たとえば複数姦や借金のカタにという設定。
ベッドシーンに至るのに必要なのは「時間」と「言い訳」だった。
つまり、私が臨んだわけじゃない、相手が臨んで強引に迫ってくるから仕方なく身を任せたのよ、任せるしかなかったのよという言い訳。
レイプ表現との決定的な差は「女は官能で磨かれる」という点。
つまり、抱かれることによってどんどん綺麗に美しくなっていくということ。
これが男性向けになると、自分より高い場所にいる(令嬢・奥さま・女教師)相手をベッドシーンを経て引きずり下ろすという設定が増える。

女性向けの場合、強引に行為を迫る相手がイケメンに描かれている場合、主人公の女性は「実はそうされることを望んでいる」と読める。つまり自分好みの男はイケメンに見える=無理矢理に見えるけど実は無理矢理じゃない。

これらを表現するためか、女性向けの性表現には「内語が多い」「表情が細かく描かれる」という特徴がある。ちなみにレディコミでは女の歓びに描写が集中する。恋愛では男も女もイメージにフェティッシュしている。

「ハーレクインレイプ」と「強引な愛」
レディコミに於けるレイプ表現
→男性が我を忘れて行為に走ってしまうほどに、ヒロインの魅力が大きい。
事情はBLでも同じ。
→攻が思わず力ずくで迫ってしまうほど受の魅力が(ry
※ハーレクインレイプ
→海外で講演する際、「レイプ」というと、欧米では本気でガチの犯罪しか思い浮かべられず、別の表現にしてくれと言うことで考えた造語。受け手の魅力を伝えるための一種の表現技法のことであって、手が後ろに回る方の行為とは一線を画する。


フェミニズムとポルノグラフィー
ドヲーキン・マッキノンによるポルノ批判
→ポルノは教科書・強姦は実践
マッキノンが来日したとき「レディコミ? そんなの男が描いて男が読んでるんだろ!」って言っちゃって会場がざわっ……! ええええー!? ってなったのは有名な話。


ポルノグラフィーVSエロチカ
レズビアン・エロチカなどの存在。
日本の「女性向けポルノグラフィー」は格差がある方が萌える。
この格差は「演技としての格差」つまりプレイする上での役割としての格差のこと。
エロチカとは? ポルノグラフィーとの差は何か。疑問符が付く。
80年代で、マンガははっきりと性的になった。


有害コミック騒動(90〜)と女性
当初槍玉に挙げられたのは男性誌だが、次第にレディコミも話題に。
様々なセクシャリティが浮上する中での「性の商品化」論争。
ポルノグラフィーは是か非か。
セックスワーカーの見直し。

セクシュアリティに関する議論が盛んに行われた。
「行動する女たちの会」は、差別的と思われる表現に反対していたが、公的機関の表現規制には反対していた。
混同する人が多いが、公的な表現規制はあってはならないが、私人が「この表現は不快だ、止めて欲しい」と言うのは自由。言われた側がそれを受け入れるか否か考える。
受け入れて反省し、表現を変えるも良し、これは考えての上だから変えることはできないと拒否するも良し。表現者は考えなければならない。そしてどう対処するのか、そこに自由がある。
そうして表現は変化していくもの。
「これは良いがあれは駄目、ここさえ外せばOK」というような、公権力による安易なライン引きは思考停止に繋がる。これはもっとも表現の自由から遠いことだ。


TL(ティーンズラブ)の登場
10代向けのレディースコミック。
「少女コミック」(少コミ)が「性コミ」と揶揄されていた。今はそんなことはない。
また、百合ものコミックの展開、条例によるBLの摘発など、行政が「女性向けも見ているぞアピール」をしている。


日本には、歴史的・段階的に形成された男性向け・女性向け含め多様な性表現がある。
たとえば同性愛表現は同性愛者のものとは限らないように、読み手と書き手の関係も複雑。
また欧米からは、日本は大人と子供の区別が曖昧だと批判を受けるが、それは本当に駄目なことなのか?

日本の漫画には「境界を越える力」がある。
プロとアマの境界も曖昧、エロ系作家が一般向け作品を描くこともある。
女性作家がジェンダーを超えて作品を発表する力を持つ。
(BL作家が男性誌で連載することがある)

子供はいきなり大人になるわけではない。
だんだん、大人になっていく。
漫画には子供と大人を結ぶ力がある。
色々なものの間を結ぶ作品が多数存在するのが日本の漫画の力。

作家が本気で描いたものは、今は分からなくてもいつかは伝わる。
確実に伝わることだけを描くのではなく、分からないけど何か本気ですごいというような雰囲気が伝わるように作る。今は分からなくてもいい、でもいつか分かる、という信頼がある。 こういう伝え方は日本特有のものではないだろうか。


演題:漫画とセクシュアリティ
講師:堀 あきこ (ライター)


漫画における性表現の何が問題とされてきたのか。
・青少年に有害、悪影響であるという批判。
・女性への性暴力であるという批判。
・子供への性暴力(人権侵害)であるという批判。
これは、想像上のキャラクターと、被害児童が存在する児童ポルノを同列に扱うことで生まれる批判である。

男性向けと女性向けを比較した場合「何を見せようとしているのか」という点に大きな差違が見出せる。
差違があれば、そこには何らかの必然性があると考えられる。

漫画雑誌の表紙比較
男性向けは、身体パーツが強調して描かれることが多く、モデルとなる女性は1人であることが多い。
→フェティッシュな欲望
女性向けは身体パーツ強調なし。モデルはカップルの2人。
→男性向けとは違う欲望

表現方法の比較
男性向け
→男性キャラを可能な限り透明化し、男性読者と女性キャラが1対1と成るような手法が発達。
BL
→受攻の両方が同程度の比重で描写される。内面のモノローグが多い。読者は第三者的な視点でセックスシーンを見る。
ただしBLには様々な読み方があり、受に感情移入する場合・攻めに感情移入する場合・神の視点で2人の関係を俯瞰する場合など、一概に決めつけることはできない。


BLの魅力とは……女が体験できない世界を覗けたりファンタジーとしてであったり様々。
BLはセクシュアリティーの多様性を追求した存在。
ちょっと省略しすぎたかもしれません。 堀あきこさんのBLのお話はこちらにもあります。


演題:漫画とエロティシズム
講師:永山 薫 (漫画評論家・編集者)


エロティシズムと性表現とポルノグラフィ
生徒表現に関わる用語はある程度使い分けが必要。
それぞれの言葉が持つ核心は違う。
性表現・あるいはエロティックな表現を含む作品をポルノと呼ぶのは恣意的で政治的な言説である。

性表現はセックスそのものを描くこと。
ポルノグラフィは性欲を高める・あるいは性的ファンタジーを楽しむための表現。
エロティシズムは上記2つを含む場合もあるがまったく含まない場合も多い。

表現は時代・人によって受け取り方が変わる。
漫画を規制するのは、絵は小説と違ってひとつの解釈しかできないからだと言い放った役人がいたがとんでもないことである。
表現は、表現者と受容者との共犯関係で成り立っているが、表現者の意図通りに受容されるとは限らず、むしろ受容者の数だけ受け取り方が違う。
誤読・意図的な誤読・二次的な創作など。

男性向けメインの漫画の歴史。
真ん中省略……
90年代に入って有害図書規制の動き。
大手が自主規制を言い始めるが、そもそも大手版元に青年マークを付けるような刊行物がなく、巻き込まれる形で中小版元が自主規制をすることになる。
90年代はエロ表現が過激化していった時代。

男性向け作品を描く女性作家は沢山いるが、BLを書く男性はほとんどいない。
BLの進化は独特で、一番すごいと思ったのは「土砂崩れ×土嚢」
元は同じ土なのに裏切って……! とかそういう擬人化。

表現規制で一番気に入らないのは、何かをバッシングするとき、大きなものを代表しようとする人が多いこと。「世間の常識」から考えてあり得ない。「女性として」許し難い。等々。
気に入らないなら全体の代表を気取ってるんじゃなくて「俺は・私は」気に入らない、許せないって言え、何かの代表じゃなくて個人として語れ!



以上、ざっとしたまとめでした。
最後駆け足で申し訳ないです。
何かの代表としてじゃなくて個人として語れっていう下りにはうんうんと頷いておりました。
一番衝撃だったのが土砂崩れ×土嚢……どこのサークルさんですか私も読みたいです!!
藤本先生が尾崎南さんの同人誌をスライドで出したときもちょっと鼓動が早かった。
見覚えありすぎて困った……というか。
具体例として出てきたBLほぼ全部知ってる持ってる読んでるでなんかこう、はい。

海外には女性が読む漫画ってないのねっていう驚きがありました。
日本人に生まれて良かった!
漫画の歴史を三者三様に語られていて、とても面白く興味深かったです。
こういう歴史を経て今の規制騒動に繋がるんだねとか……。
色々勉強になりました。

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