昔は自由になるお金がとても少なくて、本を1冊選んで買うというのがとても重大なことでした。本屋に通い詰めて3日悩むとかざらでした。悩みながら立ち読んで結局本屋で読了などと言う迷惑極まりないことも結構な頻度でやらかしました。
自分で買えない分は友人に借りるか、学校の図書館に入れてもらっていました。
こんな状況で、はずれを買ってしまった時の虚脱感は大きいです。
(なかなか買えないので熟考するため、それほど外すこともなかったのですが)

学生になってバイトを始め、使える金額の桁が変わりました。
服飾関係も本も雑貨も、欲しい物は沢山ありましたが、あまり我慢する必要はなくなりました。どうも貯蓄という概念を頭が理解していないようで、通帳の額面が増えていくことに快感を覚えることはついぞありませんでした。それどころか、今月はもうあまり手元にお金が残っていない、と言う状況になった時、

「じゃあ節約しようか」

とも思わず、

足りない分は働こうか

ということで、必要分、臨時でバイトを入れるなんてことは日常茶飯事でした。
ということで、読みたい本はほとんど躊躇せず買い、読むことが出来ました。
ちょっと気になったらそのままレジへ。
外れてもあまり気にしません。
時間もお金も必要だと思う分は手に入るので、濫読を絵に描いたような生活にひたっておりました。

社会人になって、自由に使えるお金の桁がまた変わりました。
やろうと思えば気になるレーベルの新刊を毎月買い占めることも不可能ではないです。
しかし。その分、時間が減りました。以前なら、気になる作家さんの新刊単行本を読み終えるのに数日もかかるなどと言うことはありませんでした。
いくら買っても読む時間が思うように取れないのでは意味がありません。
結果として、買う本を熟考することになります。
最近本屋で、昔味わった気分を追体験しています。