【ファンキー通信】 オタクガールよ、乙女ロードを行け!
と言う記事がありました。
最近、乙女ロード関連のニュースをちらほら見る気がします。
ちなみに大阪・難波にもプチ乙女ロードみたいな場所があります。
一度だけ友人に連れて行ってもらいました。
アニメイトなど3つほど、そっち系統のお店が軒を連ねております。
大きなサイズのやけに薄くて高い本がいっぱい並んでおります。
乙女ロードにいた女子高生二人組みは、同性愛を取り扱った漫画は「究極の切なさを味わえる」と答えたそうです。
確かにそれはあるな、と思います。
が、私はすべてのボーイズラブに究極の切なさを求めているわけではありません。
なぜボーイズラブを読むのか。
簡潔に一言で言ってしまえば面白いから、ですべて片付くのですが、何が面白いのかさっぱり分からない人には納得してもらえません。
実際に存在しないような美男同士をホモにして何が楽しいのかと。
いやそれが楽しいんですよ。
キーワードは「禁断の愛」と「純愛」です。
ボーイズラブ関連の本に実に頻繁に現れる表現として、
「男か女かは関係ない。おまえだから好きなんだ」
と言うのがあります。
バリエーションは星の数ですが、要するに「死ぬまでおまえ1人を愛してる」とか、もっと直接的に言えば「もうおまえじゃないと勃たない」という、たったひとりに誓う絶対の愛を目指した作品が非常に多い、ということです。
現実世界で真面目にこんなことを本気で誓う男が、果たして何人いることでしょう。
いないとは言いませんが、絶滅品種に指定して保護しなければならない程度の数しかいないような気はします(参考)。
男は浮気をする生き物である、ということです。
女は自分の腹で子供を育てて産むわけですから、これが自分の子供だと確信が持てますが、男はそうはいきません。これは本当に自分の子供か、という不安が、どこかしらあるそうです。その不安を解消するために何をするかというと、本能に忠実に「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」とばかりに、複数の女性と関係を持とうとすると。
つまり、男女の恋愛の場合、多かれ少なかれ「種の保存」という、理性とは別の部分で働く本能が関わってくるのです。そして、その本能というやつは、乙女が夢見る「純愛」にはなかなかそぐわないのですね。
女の子は、自分を見つけて愛してくれる白馬の王子様に憧れるのです。
さらに今の女の子たちはその白馬の王子様がほとんど幻想である現実を知っています。
でも夢は見たいじゃないの!!
ということで、種の保存という生物の本能に真っ向から逆らう「同性愛」の出番です。
子供ができなくても、結果として自分の血がここで途絶えても、まわりから祝福されなくても、何を失ってもあなたを愛してる、という純愛。また、それに付随する「禁忌を犯す」という背徳感が適度なスパイスにもなります。
ボーイズラブは、「おまえだから好きなんだ」というのを、実に書きやすいジャンルであるといえるのです。
しかし、もちろん、すべてのボーイズラブがこれに当てはまるかというとそんなことはありません。また、すべての読者がすべからく純愛や究極の切なさを目指して何冊も何十冊もボーイズラブを読みあさっているわけでもないと思います。
自分の場合に限定して考えてみた時、ボーイズラブを読む理由は以下の3つに大別されます。
1:ネタ
2:娯楽(萌)
3:究極の切なさ
立て続けに純愛や究極の切なさを読むのは結構きついものがあります。
何も考えずにボーイズラブを楽しみたい時もあります。これが2の娯楽です。
この何も考えずに、と言うのがミソで、たとえば男女の恋愛モノだった場合、「自分の時はああだったな……」とか「そうそう、こんな男がいて腹立ててたんだよ」とか、自分に投影して読んでしまうことが多いのです。それで気持ちが浮上すればいいのですが、地中深くに沈み込むことも少なくありません。
ではボーイズラブはどうかというと、なにしろ前提が男×男なので、主なカップルの恋愛関係に女はノータッチである場合が多いのです。なので、安心して楽しめます。(だからといって女性キャラがへのへのもへじでは困ります。魅力的な女性キャラは、主にBLカップルに寛容であり、良き理解者である、もしくは雨降って地固まる方式に則って、最終的にはBLカップルの愛情を確かめる試金石になるという役割を振られると歓迎される傾向にあります)
こんなんあるわけねーよ!! と理解しつつも面白く読める、自分とはまったく関係のない場所で展開される恋愛小説、と言う位置づけで楽しむのが2番目の娯楽です。
3番目の究極の切なさには、なかなかお目にかかることができません。
個人的には、「春いちばん」「魚住くんシリーズ」「邪道シリーズ」「ニューヨーク・ニューヨーク」「やさしい竜の殺し方」あたりに、ボーイズラブならではの究極の切なさがあったように思います。
ちなみに、ネタは……間違いなく代表はこれ。
「ドント ウォーリー ママ」
エロしかないボーイズラブには、私はあまり興味がありません。ストーリー重視派です。
(エロの種類も実に多岐に渡っていますが、監禁・強姦ものでも、最終的には行き過ぎた愛情故、でカタが付くことが多いです)
それぞれ、色々なボーイズラブの楽しみ方があると思います。
ええ、切に訴えたいのは、「傷つきやすい乙女が現実逃避の手段としてボーイズラブを読んでいる」わけではないということです。そういうケースもあるのでしょうが決してすべてではないのですと。むしろ現実の恋愛とは別と切り離して楽しんでいる人の方が多いのではないでしょうか。
腐女子は己の正体を隠すのが上手(な人も多い)です。
現実世界では男女の恋愛を楽しみ、ファンタジーとしてボーイズラブを嗜む。
二次元にダイブして遊ぶ時には、このバランス感覚が大切かと思います。
と言う記事がありました。
最近、乙女ロード関連のニュースをちらほら見る気がします。
ちなみに大阪・難波にもプチ乙女ロードみたいな場所があります。
一度だけ友人に連れて行ってもらいました。
アニメイトなど3つほど、そっち系統のお店が軒を連ねております。
大きなサイズのやけに薄くて高い本がいっぱい並んでおります。
乙女ロードにいた女子高生二人組みは、同性愛を取り扱った漫画は「究極の切なさを味わえる」と答えたそうです。
確かにそれはあるな、と思います。
が、私はすべてのボーイズラブに究極の切なさを求めているわけではありません。
なぜボーイズラブを読むのか。
簡潔に一言で言ってしまえば面白いから、ですべて片付くのですが、何が面白いのかさっぱり分からない人には納得してもらえません。
実際に存在しないような美男同士をホモにして何が楽しいのかと。
いやそれが楽しいんですよ。
キーワードは「禁断の愛」と「純愛」です。
ボーイズラブ関連の本に実に頻繁に現れる表現として、
「男か女かは関係ない。おまえだから好きなんだ」
と言うのがあります。
バリエーションは星の数ですが、要するに「死ぬまでおまえ1人を愛してる」とか、もっと直接的に言えば「もうおまえじゃないと勃たない」という、たったひとりに誓う絶対の愛を目指した作品が非常に多い、ということです。
現実世界で真面目にこんなことを本気で誓う男が、果たして何人いることでしょう。
いないとは言いませんが、絶滅品種に指定して保護しなければならない程度の数しかいないような気はします(参考)。
男は浮気をする生き物である、ということです。
女は自分の腹で子供を育てて産むわけですから、これが自分の子供だと確信が持てますが、男はそうはいきません。これは本当に自分の子供か、という不安が、どこかしらあるそうです。その不安を解消するために何をするかというと、本能に忠実に「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」とばかりに、複数の女性と関係を持とうとすると。
つまり、男女の恋愛の場合、多かれ少なかれ「種の保存」という、理性とは別の部分で働く本能が関わってくるのです。そして、その本能というやつは、乙女が夢見る「純愛」にはなかなかそぐわないのですね。
女の子は、自分を見つけて愛してくれる白馬の王子様に憧れるのです。
さらに今の女の子たちはその白馬の王子様がほとんど幻想である現実を知っています。
でも夢は見たいじゃないの!!
ということで、種の保存という生物の本能に真っ向から逆らう「同性愛」の出番です。
子供ができなくても、結果として自分の血がここで途絶えても、まわりから祝福されなくても、何を失ってもあなたを愛してる、という純愛。また、それに付随する「禁忌を犯す」という背徳感が適度なスパイスにもなります。
ボーイズラブは、「おまえだから好きなんだ」というのを、実に書きやすいジャンルであるといえるのです。
しかし、もちろん、すべてのボーイズラブがこれに当てはまるかというとそんなことはありません。また、すべての読者がすべからく純愛や究極の切なさを目指して何冊も何十冊もボーイズラブを読みあさっているわけでもないと思います。
自分の場合に限定して考えてみた時、ボーイズラブを読む理由は以下の3つに大別されます。
1:ネタ
2:娯楽(萌)
3:究極の切なさ
立て続けに純愛や究極の切なさを読むのは結構きついものがあります。
何も考えずにボーイズラブを楽しみたい時もあります。これが2の娯楽です。
この何も考えずに、と言うのがミソで、たとえば男女の恋愛モノだった場合、「自分の時はああだったな……」とか「そうそう、こんな男がいて腹立ててたんだよ」とか、自分に投影して読んでしまうことが多いのです。それで気持ちが浮上すればいいのですが、地中深くに沈み込むことも少なくありません。
ではボーイズラブはどうかというと、なにしろ前提が男×男なので、主なカップルの恋愛関係に女はノータッチである場合が多いのです。なので、安心して楽しめます。(だからといって女性キャラがへのへのもへじでは困ります。魅力的な女性キャラは、主にBLカップルに寛容であり、良き理解者である、もしくは雨降って地固まる方式に則って、最終的にはBLカップルの愛情を確かめる試金石になるという役割を振られると歓迎される傾向にあります)
こんなんあるわけねーよ!! と理解しつつも面白く読める、自分とはまったく関係のない場所で展開される恋愛小説、と言う位置づけで楽しむのが2番目の娯楽です。
3番目の究極の切なさには、なかなかお目にかかることができません。
個人的には、「春いちばん」「魚住くんシリーズ」「邪道シリーズ」「ニューヨーク・ニューヨーク」「やさしい竜の殺し方」あたりに、ボーイズラブならではの究極の切なさがあったように思います。
ちなみに、ネタは……間違いなく代表はこれ。
「ドント ウォーリー ママ」
エロしかないボーイズラブには、私はあまり興味がありません。ストーリー重視派です。
(エロの種類も実に多岐に渡っていますが、監禁・強姦ものでも、最終的には行き過ぎた愛情故、でカタが付くことが多いです)
それぞれ、色々なボーイズラブの楽しみ方があると思います。
ええ、切に訴えたいのは、「傷つきやすい乙女が現実逃避の手段としてボーイズラブを読んでいる」わけではないということです。そういうケースもあるのでしょうが決してすべてではないのですと。むしろ現実の恋愛とは別と切り離して楽しんでいる人の方が多いのではないでしょうか。
腐女子は己の正体を隠すのが上手(な人も多い)です。
現実世界では男女の恋愛を楽しみ、ファンタジーとしてボーイズラブを嗜む。
二次元にダイブして遊ぶ時には、このバランス感覚が大切かと思います。
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アキミ
私がBLに求めるもの「究極の切なさ」です!!
(個人的に一押しはG・DEFEND・冬水社です)
学生時代はBLに確かに現実逃避をしていた時期もあります。
大人になるに従って、現実の恋愛の甘いひとときや
厳しさも味わってきました。
BLは二次元の世界だと割り切っています。
そしてBLに浸る時間は何よりも替えがたい時なのです。