ここ数日、読んでも読んでも、どうも感想を書きたい欲求が湧いてこないので、ちょっと思い出話でも。やっぱり妹とのボーイズラブの趣味は、被ってる範囲がとても狭いと思う今日この頃。

「ほら、なんて言ったっけあの人」

「なんか似たような名前の人おらんかったっけ?」

「ああ、おったおった」

「そうよな、おったよなー! ほら、羽柴さん!」

「そうそう、羽柴さんみたいな名前の人!」

知人の名前を思い出すのに共通してイメージする名前が、元CLAMP所属漫画家の作品のキャラだという現状からは、ちょっと想像できないような経緯が十年近くに渡ってありました。
そう。今でこそ和気藹々とボーイズラブをネタに笑いあえる素敵家族ですが、ここに至るまでの親子関係はなかなかに壮絶なものがあったのでした。


(なんか無駄に長くなった上に、たいして面白くもない気がするので暇な日とだけどうぞ……凹)

そもそも大半の子供がそうであるように、私は勉強が嫌いでした。
嫌々ながらにテキトーに宿題をこなし、暇さえあれば犬と一緒に山に遊びに行ってそのまま夕飯まで帰ってこないようなクソガキでした。
7回に1回くらいは、故意に宿題の存在を脳内抹消してました。
小学校では、休み時間の7割と授業中の2割くらいは読書に勤しんでおりました。ちゃんと縦に字の並んでる、濡れ場のない真面目な小説です。取り上げられても特にダメージがありません。図書館の本が多かったし。

そう。
私は小学校中学年くらいまで、漫画というモノの存在を知らなかったのです。
初めて読んだコミックスは、母親が古本屋で買ってきた、犬が熊と血みどろの戦いを繰り広げる動物漫画でした。「銀牙」だったはず。犬が回転しながら熊に突進してその首を一撃で飛ばしたりする、なかなか素敵なお話でした。
純粋だった私は、思わずその当時飼っていた愛犬の牙をつぶさに観察したものです。

その犬の漫画で基本的な漫画ルール(コマの並び順とか、初めは本気で分からなかった)を理解して漫画の面白さに目覚めた私は、とりあえず親の友人の家にあった北斗の拳とかドラゴンボールとかを制覇していきました。
その勢いで自分でもなけなしの小遣いでダイの大冒険とかめぼしいジャンプコミックスを買いあさるようになり、気付けば立派な少年漫画好きができあがっておりました。

さて。
漫画が好きになっても、もちろん小説もこれまで通り読んでました。
まだアウトドア派だった小学生の私は、外に遊びに行くのも止めませんでした。
じゃあ漫画読む時間はどこから湧いて出たのよ、というと。
そりゃあ、当時一番、私の中での優先順位の低かった「くもん(毎日決められた枚数の計算プリントをする半通信教育)」とか「宿題」の時間と睡眠時間ですよ。当たり前じゃないですか。

まず、くもん式(一発変換で「苦悶」になった……言い得て妙)のプリントを隠す、見つかる、怒られて日曜日に大量にプリントをこなす、という無限ループが数ヶ月に渡って起こりました。
で、イタチごっこの無駄を悟った母は、根本的な原因である漫画をまとめて隠してしまいました。

……もう想像が付くかと思いますが、今度は漫画を隠す→見つけるの無限ループが、回を重ねるごとにレベルアップしながらくりかえされました。
本棚の奥にはじまって、普通の小説のカバーに付け替える、学校のファイルの中に挟む、押し入れの隅にひっそり収納等々。その全てはことごとく見破られました。
最終的に、私は自室の天井板を壊してはずし、天井裏に本棚を作るという暴挙に出ました。
さすがにそこまでは、普通は探さないですよ。
だって天井板は本の出し入れのたびにはめなおしていましたもの。
しかし。
もの凄く慎重に行動していたにもかかわらず、ある時ばれました。


本を収納しているところを目撃されたんだから、もうしょうがないです。


もちろん、母は激怒しました。
なんつーか、この時点で漫画を初めに与えたのは自分だって、完璧に忘却の彼方だったんだろうと思います。

そして、私以上の暴挙に及びました。


それがアキミ家の三大事件のひとつ。



焚書



相当な数があったと思うのですが、私の目の前でまとめて灰となってお亡くなりに。
なんかもう、完敗した感じ。
それから結構な期間、冷戦状態だった気がします。


私の小学校の時の卒業文集に載った作文は、この焚書事件ネタでした。
他の友人達は、運動会の思い出だとか修学旅行だとか、家族旅行とか友達とのあれこれを可愛く振り返っているというのに、私の作文には母とのこの一連の戦いの記録が綴られています。

燃やされた漫画>>>>>>>学校での思い出

という、動かし難い図式が、私の中に断固として存在していたようです。

こんな感じで、小学生だった私は完敗しました。
いやもう、特にこの時代は勝てた試しがないんです。
しょせんは小学生ですから。


で、中学校からは寮に逃亡しました。
両親はここで私を手元から放すべきではなかったのかもしれません。
それからの私は、まさに糸の切れたタコ
罵倒されるのにも殴られるのにも慣れていた私を止められるものなど存在しません。

そして、寮というのはパラダイスのような場所だったのです。
まず。
それなりの頭数がいるので、漫画やその他の本は買わなくても借りて読める。
それはもう大量に読めます。
ちなみに蔵書量NO.1だったのが寮監さんで、彼女の蔵書は寮備え付けの押し入れの柱を傾けてました。後5㎏くらい乗せたらもう間違いなく折れてたねあの柱。
ちなみに、年代的にかなり初期からの腐女子だった寮監の彼女から、私は初めての同人誌を借りることとなりました。

転がりだした石は止まらないと申します。
そもそも止まる気すらなかった私の成績は、それはそれは惨憺たるものでした。
特に英語と数学……試験受験者人数と順位の数字が同じとか、普通にありましたし、まぁよく卒業できたなというレベルの低空飛行でした。
そこは私立マジックのなせる技ですが。
それでも、物理的な距離というのは大変なもので、定期的に送りつけられてくる凄まじい定期試験とかの成績表にも、親はいつのまにか慣れてしまったのです。
あんまりな数字を見ても、目の前に叱りつける対象がいないと怒りは持続しないモノなんですね。
そのうち成績表を貰ってきても、
「精神衛生上、宜しくないんやったら見ない」
といって、よっぽどのことがないかぎり成績に言及しなくなりました。
普通に考えて、諦めの境地に達したんでしょうな。
良く授業料を払っていてくれたものです。感謝感謝。

そして不安しかない状況で大学受験を迎え、塾の恩師の奮闘と偶然と奇蹟が折り重なって、親が第一希望として出していた交通費も学費も最低限で済む大学の合格通知が届くに至って、事態は収束に向かいました。
その頃には押しも押されもせぬ立派な腐女子になっていた私には、理想の状況が待っていたと言えます。

娘の趣味はそっとしておこう……。

という結論の元、私の読書傾向はあまり把握しないまま両親は娘を放置するに至ったのです。


そこで調子に乗った私(と妹)が、相互理解は大切よ、とか適当な理由を付けて母親に厳選した一般書籍やらボーイズラブ小説やら漫画を読ませるようになり。
元々、本を読む人だった親はわりとすんなりそれらを読み。

なし崩しのまま現在に至る、と……。

無駄に長くなってしまいましたがこんな感じです……。
なんか、ごめんかーちゃん。

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